ミサにおける典礼はカトリック信仰の最も重要な側面の一つであり、信者がキリストの救いの業に具体的かつ霊的に参与する手段です。「典礼」という言葉はギリシャ語の「leitourgia」から来ており、「公共の仕事」や「奉仕」を意味します。カトリック教会において、ミサの典礼は単なる一連の儀式ではなく、イエスが私たちのために成し遂げた贖いの生きた、現在の祝祭です。したがって、ミサは信者がキリストの受難、死、復活に結ばれる、キリスト教生活の頂点と見なされています。
ミサは主に二つの部分に分かれます:ことばの典礼と聖体の典礼です。ことばの典礼では、カトリック信者は生きていて効果的な神のことばである聖書を聞きます。「神のことばは生きていて、力があり、どんな両刃の剣よりも鋭い」(ヘブライ人への手紙4章12節)。このミサの部分は、信者が聖書や信仰の真理を黙想することを可能にします。この典礼の頂点は福音の朗読であり、そこでキリストは直接共同体の心に語りかけます。
第二の部分である聖体の典礼は、パンとぶどう酒が聖別され、キリストの体と血となる瞬間です。イエスは最後の晩餐で聖体を制定し、「これはあなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこれを行いなさい」(ルカによる福音書22章19節)と言われました。ここで、カトリック信者は祭壇で血を流さずに捧げられるキリストの犠牲に積極的に参与します。聖体の典礼はミサの中心であり、そこではキリストが再び私たちのためにご自身を捧げ、信者はその犠牲に結ばれるよう招かれます。
ミサの典礼は単なる象徴的な行為や過去の出来事の記憶ではありません。それは過越の神秘への実際の参与であり、信者はキリストの救いの出来事の同時代人となります。聖パウロが言うように、「あなたがたがこのパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(コリントの信徒への手紙一11章26節)。したがって、ミサはキリストご自身との出会いであり、特に聖体において、また集まった共同体や司式する司祭、宣言されたことばにおいて現実に存在されます。
さらに、ミサの典礼は信者間の交わりを強めます。キリストの体の一員として、彼らは個々の孤立した存在としてではなく、信仰によって結ばれた共同体としてミサに参与します。「二人または三人がわたしの名によって集まるところに、わたしもその中にいる」(マタイによる福音書18章20節)。したがって、ミサは共同体的な行為であり、教会の一体性と、神を一つの体として崇める召命を表しています。
ミサの典礼は天上の礼拝の反映です。『黙示録』で、ヨハネは天国の典礼を描写し、聖人たちと天使たちが絶え間なく神を賛美しています:「屠られた小羊こそ、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい」(ヨハネの黙示録5章12節)。したがって、ミサに参与することで、信者は神への永遠の礼拝に結ばれ、天上の命の充満を先取りします。
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CIC 1097
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CIC 1070
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CIC 1346
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Compêndio do Catecismo da Igreja Católica 218.: https://www.vatican.va/archive/compendium_ccc/documents/archive_2005_compendium-ccc_po.html
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Compêndio do Catecismo da Igreja Católica 219.: https://www.vatican.va/archive/compendium_ccc/documents/archive_2005_compendium-ccc_po.html
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ルカ22章19節:イエスは聖体を制定し、ご自身の記念として繰り返すよう命じられ、ミサにおける聖体の典礼の基盤となる。
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コリントの信徒への手紙一11章26節:私たちがパンを食べ、杯を飲むたびに、キリストの死をその来臨まで告げ知らせ、聖体の犠牲を再確認する。
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マタイ18章20節:キリストは、ご自分の名によって二人または三人が集まるところにご臨在されると約束され、典礼の共同体におけるご臨在を示している。
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ヘブライ人への手紙4章12節:神のことばは生きていて力があり、ミサにおいて心を変えることばの典礼の力を示している。
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ヨハネの黙示録5章12節:天使と聖人たちが屠られた小羊を賛美し、ミサが地上で先取りする天上の典礼を反映している。
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使徒言行録2章42節:初期のキリスト者たちはパンの裂きと祈りに専心しており、教会の初めからの典礼の実践を示している。
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ヨハネ6章53-56節:イエスはご自身の肉を食べ、血を飲む者は永遠の命を持つと教えられ、典礼における聖体の中心性を強調している。
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コロサイの信徒への手紙3章16節:キリストのことばを豊かに宿らせるべきであり、ミサの典礼がことばと聖体を通して強調している原則である。
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ローマの信徒への手紙12章1節:私たちの体を生きた、聖なる、神に喜ばれるいけにえとして捧げることは、私たちの霊的な典礼であり、ミサに反映されている。
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